貴船神社 雨乞祭
貴船神社と雨乞祭
貴船神社の御祭神は高おかみの※神(たかおかみのかみ)。「水を司り給ふ」神といわれている。「水を司る」とは、雨を降らせたり止ませたり、それだけではなく、一旦降った雨を地中にしっかりと蓄えて、少しずつ少しずつ適量を地表に湧き出させていく、そういう働き全体を指すことで、そこに神霊の働きを知り、その神様を高おかみの※神と申し上げる。降った雨を地中に蓄えるのは、大地にしっかりと根を張った樹木の役割で、樹木の生い茂る水源の地こそ、水を司る高おかみの※神が鎮まるに最もふさわしい場所であった。貴船神社はまさにそういう場所に鎮座しており、貴船の語源は、「木生嶺」「木生根」だともいわれている。
雨を司るのは、古来、龍神の成せるわざだとの信仰がある。貴船神社の現在の奥宮は、もともとはそこが鎮座の地であり、奥宮の本殿の下は大きな龍穴になっていると伝えられている。御鎮座由来によると、反正天皇の御代(406〜411)、黄色い船に召された神様が浪花の津に出現され「吾は皇母玉依姫なり、恒に風雨を主り、以て国を潤し土を養ふ。且た黎民の諸願には福運を蒙らしむ。仍て吾が船の止る処に祠を造るべし」と宣して船を進められたため、これをお知りになった天皇は、遣いの者を差し出され従わせられた。玉依姫の船は淀川を遡り、鴨川を遡り、さらに貴船川へと進み、奥宮の地の水の湧き出るところに船を止められ、そこに社殿を創建したのが貴船神社の始まりだという。
ちなみに、その時玉依姫が乗って来られた船は、人目を忌み憚って小石でもって覆い隠したといわれ、船の形をした石の塚「船形石」が、今も奥宮社殿の前にある。
「水の湧き出る所」、それが今に伝えられる龍穴で、「誰も見てはならない」畏れ多い龍穴と語り継がれている。このため、社殿御修理に際しては、社殿の西側に長い莚を掛けて東側の権地に引き移し、自然に莚で龍穴を覆い隠す「附曳神事」という神事がおこなわれた。また、この龍穴にまつわる話として、文久年間に社殿修理中の大工が過って鑿を龍穴に落としてしまったところ、一天俄に掻き曇って竜巻が起り、鑿を巻き上げて社殿の屋根に戻したといわれている。「龍穴あるところ龍が住む」との伝説と龍神信仰は全国各地に残っており、貴船もその例外ではない。深い谷の底から雲が巻き上がり雨を呼ぶ、龍が天に立ち昇る姿をそこから想像するのは少しも不思議でない。
高おかみの※神の
という字は、『釋日本紀』(卜部兼方撰)によると「龍蛇の類をいふ」とあり、「龍は雨を司る」との龍神信仰と深い関わりのあることは、この文字からも伺うことができる。高おかみの神はまさに雨を司り、水を司る神である。
一説には、奥宮の御祭神は闇おかみの※神で、本社の御祭神が高おかみの※神ともいわれている。本社が今の地に移されたのは、後冷泉天皇の天喜3年(1055)のこと。闇おかみの※神の闇は、深い暗い谷底という意味。高はタケの意で、健、猛と同義語。即ち、「暗い谷の荒々しい猛蛇」という意味。『本朝神社考』(林羅山)には「高おかみの※神與闇おかみの※神同龍神也。今祈雨止雨多祭此神といへり」とあって、いずれも同じ神である。
貴船神社の御鎮座は前記したように京都に都が移る以前の事だが、平安遷都後、貴船神社は、皇室・国家にとって非常に重要な地位を占める事となる。古来、都のある所には必ず土地の守護神が祀られ、その水源には水神が祀られた。大和の場合には国魂の神として大和神社を祀り、丹生川上流に丹生川上神社を祀った。同様に平安遷都となって、山城の国の国魂神として賀茂別雷神社(上賀茂神社)を祀り、賀茂川の水源に当たる貴船神社を川上の神として皇室の格別の崇敬を受ける事となる。
『日本紀略』嵯峨天皇弘仁9年の條に、「七月丙申遣使山城貴布禰神社大和國龍穴等処祈雨也」とあり、同じく嵯峨天皇の條に「弘仁十年五月甲午幸神泉苑奉幤貴布禰社祈雨」「同年六月乙卯奉白馬於丹生川上雨師神並貴布禰神為止霖雨也」と出ており、この年は長雨がつづいたために白い馬を奉って晴天を祈願なされている。これが、炎天のときには黒い毛の馬を、霖雨の時には白い毛の馬、あるいは赤い毛の馬を奉って勅使を遣わされて御祈願遊ばされる習しの文献上の初見とされ、以後、「その数数百度に及ぶ」と伝えられている。
さて、貴船神社では毎年3月9日に「雨乞祭」をとりおこなう。農耕作業の始まる時節を前に、今年一年適量の雨を賜り、五穀が豊かに実りますようにと祈る祭で、雨乞の名称ではあるが、晴雨の順調を祈願する祭である。
この雨乞祭は、かつて同神社でおこなわれていた雨乞祈願の手振りを今に伝える特殊神事で、明治になるまでは「雨乞の儀」は奥宮の山中「雨乞の滝」でおこなわれた。この滝は、一の滝、二の滝、三の滝と三段に分かれていて、酒三升を各滝に一升ずつ流して祈念し、祈願者は、鉦や太鼓を打ち鳴らし「雨たもれ、雨たもれ、雲にかかれ、鳴神じゃ」と囃して川に入り、水を掛けあったといわれている。明治維新まで雨乞祭は2月9日におこなわれていたが、明治以後3月9日と改められ、その儀は本社の神前のみでおこなわれる事となり、今は雨乞の滝に行く路も閉ざされている。現在の祭儀は、神前にあらかじめ境内から湧き出る御神水を手桶に汲んで供え、献饌、宮司が「今年一年、五風十雨適度の雨を賜りますように」との祝詞を奏上した後、禰宜が神酒3合を手桶の神水に注ぎ、塩を一握り入れる。次に禰宜がその水桶を持って拝殿外に南面し、榊の枝で天に向かってその水を散水する。そのとき禰宜は「雨たもれ、雨たもれ、雲に掛かれ、鳴神じゃ」と、大きな声で唱え、また別の神職3名は太鼓、鈴を鳴らしながら同じく禰宜に従って唱え詞を唱える。この間、宮司は祝詞座にて「大御田のうるほふばかりせきかけてゐせきに落せ川上の神」の秘歌を唱えて祈念をこめ、神事を終える。
※ 高おかみの神の「おかみ」という漢字は、
。 (雨かんむりに口を三つ、その下に龍)
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